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最果てピアノ:男鹿半島に移り住んで20年 元新聞記者の、気づいたら古希

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 インターネットが普及し、リモートワークでどこでも仕事ができるようになりました。地方へ移住して田舎暮らしを楽しむ人もいます。本書は街場の暮らしから一転、「半農半漁見習い」を志願し、実際に田舎暮らしを続けてきた元新聞記者の手記です。

 著者の土井敏秀さんが「海のそばで田舎暮らし」を夢見て、秋田県男鹿市の加茂青砂(かもあおさ)集落に移住したのは約20年前の1998年。集落にはまだインターネットがなく、「移住促進」という言葉もない時代でした。突然、現れた著者を「流行系」「未熟な変わり者」と見るむきもありましたが、地元の人たちは概ね好意的でした。

 著者は自給自足の生活をするため、海を見下ろせる場所に畑を借ります。農業は初めての経験で、野菜づくり入門の本を何冊も読み、畑を耕して種をまきました。ところが、ようやく芽を出した野菜は、鳥や虫たちに食べられ、満足に収穫はできませんでした。自然の厳しさは身をもって知ったけれど、畑仕事は楽しく、報道記者として自然環境と人間の対話に強い関心を持ってきた著者を大いに刺激してくれるのでした。

 地元の漁師に憧れ、土井さんは中古で舟を買いました。まともに漁ができるようになる前に、大雨が降って海が荒れ、舟は無残にも高波にさらわれてしまいます。舟の写真を撮りに行った自分も、濁流に飲まれ…。仲の良かった漁師にはひどく叱られたけれど、この土地に移住しなければ、絶対に味わえない体験でした!

 この土地に馴染もうと懸命に生きる土井さんに、集落の人たちは「わがんねごとあったら、おれんとこさ来い。何でも教えてやる」と。自然との向き合い方、漁や畑作りなどの知恵を教えてもらって、土井さんは「少しずつ(集落の)仲間に入れてもらった」。

 一方で、集落の少子高齢化が進んでいきました。集落の人たちを巻き込んでイベントなどを開き、集落の交流人口を増やすことに役立ちたいと思ってきた土井さんでしたが、移り住んだ20年間で、集落の人口は200人から100人に半減…。2001年には小学校が閉校になり、お世話になった人たちは高齢に。加茂青砂で暮らした20年という時間によって、著者自身もいつの間にか古希に。集落の行事に参加する人も減り、土井さんは「暮らしの文化を継ぐこととは?」「自分の役割は何?」と苦悩します。

 そんな時、「私が、私たちが家族で生きている限り、男鹿半島は消えない」という若い人たちとの出会いが縁となり、自分の役割を定義し直すことになります。「加茂青砂をはじめとする男鹿の人たちがどう生きてきたか、今、どんな思いを抱え、これから何を目指そうとしているのかを記録しよう」。

秋田・男鹿半島の漁村へ移住
20年で限界集落に

 2018年11月、日本の「来訪神 仮面・仮装の神々」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。このうちのひとつ「男鹿のなまはげ」で知られる秋田県男鹿市。男鹿半島の西海岸の一隅にある加茂青砂(かもあおさ)集落は、入り江に囲まれた小さな漁村です。

 大晦日の晩、集落の青年たちがなまはげに扮して「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」などと大声で叫び、家々を巡ります。この行事は、市内の各地域で行われるもので、かつては加茂青砂でも行われていましたが、現在は行われることはありません。集落に住む人の約80%が70~80代と、高齢化が進んでいるからです。

 本書は男鹿半島への移住者である土井敏秀さんが、集落での暮らしや人々への思いを綴ったもの。移住した当時は、現在ほど高齢化は進んでおらず、土井さんは地元の人たちからさまざまなことを教えてもらいました。

「移り住んで20年の間に(集落の住民は)200人が100人に減った。あらためてその数字をつきつけられると、胸に迫る思いがある。海のこと、畑のこと、山のこと、田舎での暮らし方などを教えてもらった人たちの、表情がひとつひとつ。それが消えていったのだなあ、と。何度も酒を酌み交わしたジサマ、畑で昼寝をしているうちに、カラスにおにぎりを取られた話を、笑いながらしてくれたバサマ、荒れた海で船が転覆し、行方不明になった漁師……。私は何を書けばいいのか。みんなの思いを伝えるとはなんなのか」

 土井さんは24年間の会社員生活の後で、田舎暮らしをしようと決心。でも「実は、場所はどこでもよかった」と振り返ります。男鹿半島の加茂青砂集落に決めたのは、「ここの海、すごくきれい」の妻のひと言でした。

「海辺に暮らしたいと思ったのは、仕事で1年間、東北各地の漁師を訪ねる企画に携わったのが大きい。漁師がかっこよかった。『だれよりも早く出て、海の扉を開ける。夕方には締めて帰ってくる』『カアチャンには言ったことないが、海に向かうと愛しているが言えるんだな』。そんな言葉が次々と出てくる。漁師は無口ではない。むしろ雄弁だった。そんな『漁師まち』で暮らしたい。海を見つめて生きていきたい」

 土井さんは自給自足をしようと、畑を借ります。ところが、せっかく植えた野菜は、ことごとく鳥や虫のエサに…。自然の厳しさを体験しつつ、田舎暮らしの楽しさが伝わります。

「手にハエタタキを持って仁王立ち。にっくき相手はモンシロチョウ。飛び回ってはキャベツに卵を産み付けている。いざ勝負、ピシッ!モンシロチョウはレタス類やホウレンソウには、見向きもしない」

「中古の小舟を買い『土井丸』と名付けた。その後、海が荒れに荒れた土砂降りの日に、高波にさらわれた。『土井丸』にカメラを向けていた私も、足元をすくわれ、堀に落ちた。『濁流に飲まれる』とは、こういうことを指すのだなと…」

 本書の中には、この土地での暮らしが方言を交えて描かれています。中には、集落から操業に出た漁船が転覆し、漁師たちが行方不明の仲間を捜しに行く場面なども…。

「アァーッ。だがら、やめれって言ったのに。この風は危ねえって」

「返ってくる答えは『海で死ねれば本望だ』『風に負けて漁師と言えるか』だものなあ」

「そんなごと言ってる暇ねえ。捜しさいぐ。サチオ、オメの船準備しろ」

 なまはげの行事が行われていた頃のことを、なつかしそうに話してくれたバサマもいました。

「昔のなまはげは、ホントにおっかなかった。大晦日の夜、初嫁は、子供と同じく、懲らしめの対象でした。どこに隠れても探し出されるんです。今のなまはげはかわいいけど、昔のは、迫力が違いました」

生き方に共感する出会い
地域活性化のアイデア

 土井さんが移り住んで20年の間に、この土地の言葉で暮らしを語ってくれた人たちは高齢化し、お世話になった人々が亡くなっていきました。なまはげなどの集落の行事を担う人たちが減っていく中で、土井さんは「暮らしの文化を継ぐことは、その暮らしをしっかりと体験することでしかないのではないか」と苦悩します。

「交流人口を増やしたいと考え、毎年イベントを開いてきたのは、どんな意義があったのか。イベントは地域活性化の継続には役に立たなかった、という現実を目の当たりにした。集落は終活に向かっている」

 そんな時、土井さんは自らが開いたイベントを通して、「私が、私たちが家族で生きている限り、男鹿半島は消えない」という若い人たちに出会います。彼らはそれぞれに、この地域ならではの暮らしや、この地域の未来を思い描いているのです。

 自分が生まれた場所でカフェを開業した40代の男性は「この土地の珈琲、この土地の音楽として、この土地の自然、風景がベースになっている」と話します。別の地域でカフェを開いた男性は、伝統文化を掘り下げ、工芸作家の個展を開き、アートを創りだす人たちが暮らしていける地域にしたい、と構想を描いています。

 他の土地から嫁に来て、畑を借り、野菜の自然栽培に取り組む女性もいます。「これから県外の友達が遊びに来てくれたときに、男鹿を案内できるよう、いつも観光気分で、自分も男鹿でしかできないことを楽しもうと思った」

 こうした新たな出会いがあり、土井さんは男鹿半島での暮らしにまぶしい希望を見出すのです。

「生き方に共感してくれる仲間が増えている。祖先から培われてきた時間、そして未来。それを支える子供たち。その子供たちのそばにいる仲間たち」

 さらに土井さんは、地域活性化へ向けた新たなアイデアを思いつきます。それが本書のタイトルへとつながっています。「最果てピアノ」・・・。「最果て」が意味するのは男鹿半島についての単なる地理的表現ではありません。少子高齢化とともに首都圏等への人口集中が進み、ここ数年、盛んに言われているように、全国各地でまちやむらが消滅するのをこのまま座視するとしたら、それは首都圏や大都市周辺地域以外は、大半が「最果て」となるのを許容することを意味します。「最果てピアノ」のタイトルには、いわゆる過疎問題の背後に長い間、存在し続けてきた日本人の情けなさに抵抗する気持ちがこめられています。第3部「棄国の民」=国を棄てる民-で一気に高まった気持ちを自ら静めるかのように筆者は以下のようにつぶやきます。

「こんな企画はどうだろう。『眠ったままの学校ピアノ』を目覚めさせることから始める『新しいムラ作り』。加茂青砂小学校が2001年に閉校になって以降、使われていないピアノを弾きに来ませんか、と広く呼びかける。使わなくなったさまざまな楽器を送ってもらい、その楽器を弾きたくなった人たちにも『はるばる』来てもらう」 。

書籍紹介

最果てピアノ: 男鹿半島に移り住んで20年 元新聞記者の、気づいたら古希

インターネットが普及し、リモートワークでどこでも仕事ができるようになりました。地方へ移住して田舎暮らしを楽しむ人もいます。本書は、実際に田舎暮らしを経験した元新聞記者の手記です。

発売日:2019/05/16

書籍紹介

最果てピアノ: 男鹿半島に移り住んで20年 元新聞記者の、気づいたら古希

インターネットが普及し、リモートワークでどこでも仕事ができるようになりました。地方へ移住して田舎暮らしを楽しむ人もいます。本書は、実際に田舎暮らしを経験した元新聞記者の手記です。

発売:2019/05/16

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